カイシン。

誰にも伝える必要がないしうまく話せる自信もないがなんだか残しておきたいことをずらずら書き連ねる場所兼日記

SNSは廃止すべきだと思う話

12月に入って手帳を新調しました。去年から使ってるのと同じほぼ日手帳です。

www.1101.com

ほぼ日手帳は1日1ページ分まっさらなページがある手帳。日記的に使ったり、気付いたことを書いたり、使い方は自由。

でも昨年一年間ほぼ日手帳を使ってきて、ほぼ日手帳を使いこなすのはかなり難しいと感じた。それは現代の技術進歩の功罪ともいうべきか。SNS廃止論者としてこの記事を書く。

 人をつまんなくする、という理由

 炭水化物を制限するダイエットを行っている。でもなんだか深夜になると口さみしいから、適当につまめるお菓子でも買って帰ろうと思った。何にしようかな。炭水化物量少ないヤツじゃないとだめだなあ。そんなこと考えながらふと手に取った「たまごボーロ」。成分表を見ると1袋100g入りで炭水化物量が90gを超えていた。うわっ!二郎並みじゃねえかよ!

 

Twitterに書き込んでしまった。この時点でもう手帳にもブログにも、友人に話すこともできなくなってしまった。ああ、それならtwitterで見たよ。そういわれるのが怖い。

これを読んでる人の中にも経験がある人はいないだろうか。友達にこの前身近に起きた出来事を話そうとしたら、こう言われたこと。

「ああ、そういえばそれTwitterで言ってたねえ。」

 ああ、バカ。なんで俺はこの話をTwitterに書いてしまったんだ。直接会った人に直接話した方が絶対この話面白いのに!!!

それがとにかく怖い。さっきのたまごボーロの話だって、ネットラジオ*1のオープニングトークで話せたのに、ああ潰してしまった。

 

日々のよしなしごとをTwitterに書き込むこと、これは人間をどんどんつまんなくしていくと思う。自分の中の出来事のストックをTwitterというどうせ誰も見ないところに流すことは何も産まない。何も産まない!人間としてのストック=深みを失っていくのではないだろうか!!!

 

”奇跡”が消える、という理由

SNSがあるせいで一体この世からどれくらいの”奇跡”が消えていっただろうか…。

昔の友人や恋人、有名人でも誰でもいいが、いまや誰がどこで何をやっているかなんて一目瞭然だ。地元で働いてる~北海道の大学に行ってる~アメリカに旅行中~…全部わかってしまう。

そう、「奇跡の再会」が減ってしまっているのだ。以下に例を見ていこう。

 

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ベタな再会シーン ①親の転勤で彼女が遠くへ転勤、時は流れて仕事の取引先に彼女がいて再会

不可能である。なぜなら世界一の会員数を誇るFacebookを見れば今どこに住んでいて何をしているかなんて全部わかってしまうからだ。会社名までわからなくてもFacebookTwitterSwarmを照らし合わせればどんな仕事をしているかなんて一瞬である。仮に取引先と会議があったとしても好きな人のSNSを監視するのは現代では至極当然なので会議室で偶然再会するなんてことはありえない。

 

ベタな再会シーン ②好きなアーティストのライブ会場で偶然再会

不可能である。仮にライフワークであるSNSの監視を通じて、思い出の人がB'zのライブに参加する情報をキャッチしたとしよう。頑張ってライブ会場に自分も駆け付けたとしても5万人の中から1人を見つけ出すのは現実的に考えて無理だ。ライブ会場を縦横無尽に動き回れるならまだしも、ギュウギュウにすし詰め状態になっているのだから、せいぜいウルトラソウッに合わせてヘイヘイ言うくらいが関の山である。ただ、これがB'zではなくレミオロメンのライブだったとしたら話は別だ。藤巻亮太の「一億人から君を見つけたよ」というウソを真に受け、5万人くらいなら余裕だと錯覚し躍起になって探し出した結果、見つけることができるかもしれない。まあそれにしても奇跡と呼べるかは疑問だ。

 

ベタな再会シーン ③同窓会で再会、実は両想い

不可能である。何故なら恋する乙女はTwitter「はあ…好き…」と呟きがちだからである。当然気になっている人のTwitterは監視しているからその前に男の方が勘付き「今度あいつに会えるのかあ…なんだかんだ楽しみだ」ってなことを成人式の1週間前に呟いてしまうのである。もうだめ。この後同窓会で意気投合し、小さい時通学路にあったけど休憩ってなんだよホテルで休憩することなんてないよな、と思っていたが大人になって意味が分かったラブホへ消えようが、それは予定調和であり、奇跡を体感しているときの高揚感はそこには全く何もないのだ。SNSは罪である。

 

ベタな再会シーン ④曲がり角で偶然ぶつかる

不可能である。SNSのせいで歩きスマホが問題となっており、曲がり角でぶつかる可能性は高まっているが、結局それが運命の相手である可能性が0なのは例①を見てくれれば明らかである。

 

奇怪な再会シーン ⑤お蓮が発狂する

可能である。芥川龍之介の時代にSNSは無いからである。短編で(長さ的には)読みやすいのでオススメだ。

 

貴重な産卵シーン ⑥オオグンタマ

ラーメンズである。大体の人はWeb上のFlash動画で見たことがあるのではないだろうか。世代だよね~。ちなみに好きなお笑い芸人にラーメンズをいの一番に挙げる女は厄介な可能性がある。注意されたし。

 

純情な感情シーン Q.分数を求めよ。

1/3である。壊れるほど愛しても3分の1も伝わらないのだから、SNSは廃止すべきだ。

 

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とまあ7つの事例を見てきたが、皆さんお気づきの通りやはりSNSは奇跡の機会を奪ってしまう。SNSは廃止すべきだと思う。

 

 

 とはいったものの

ついついSNSを覗いてしまうことは多い。すっかり生活の一部だと思う。僕もTwitterFacebookInstagramもSwarmもmixiも……数えきれないほどのSNSを運用している。SNSがなかったら今の自分はいないと思う。良い意味でも、悪い意味でも。

 

先日Twitterがつぶれるんじゃないかという話が出てきたとき、本当につぶれてしまえと思ったのは事実だ。SNSで狂ってしまった人、周りにいないだろうか。というより、ええ、この人普段はすげえ可愛いしいい人なんだけどTwitterだとこんな感じなのかよ……とがっかりすること、多くないだろうか。リアルとSNSで人格が全く違う人、いやだなあと思ってしまう。がっかりするくらいならつぶれてしまえ、といった感じだ。

 

 

とはいえ、あまねくSNSがすべてなくなることなんてないだろう。うまい付き合い方を考えてね、あなたのTwitter見てがっかりすること多いよって話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し内容ある呟きしよう……。